Bookeater's Journal

洋書の読書感想文

"Me and Earl and the Dying Girl" Jesse Andrews

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*どちらが先??*

あら、あなた悲しい本は読みたくないっていつも言ってるじゃない?いいの?こんなタイトルの本読んで…?とご心配くださった方がもしいたとすればですが、ありがとうございます。この本大丈夫です…とは言え人によって涙点は様々なので断言は出来ませんが。

昨日「ロッタちゃんのおつかい」という映画を見に行き涙した。

多分あの映画を見て泣く人はかなり少数なのではないかなーと思う。ずいぶん昔に1度見たことがあるが、その時も確か同じ場面で泣いた。それは悲しい場面ではなくどうして泣けるのか上手く説明できないけど、私の心には響くのでしょう。

「ないたあかおに」という絵本を読むと、必ず最後のあおおにくんの手紙のところで涙。そこは私の涙の定点なのだと思う。

先週は息子の卒業式へ行った。目頭はカラッカラに乾いていた。ウルウルしてる母達もいたし、泣いてる子供も笑ってる子供もいた。

人は何に涙するのか。

人によって違う、そんな涙点の分布図を作れないものかなー、作ってみたい見てみたいものです。

図書館でこの本を手に取り、タイトルに少し怯んだものの、1ページ目を見て、男子高校生の語りが軽妙でよかったので読むことにした。

もともと青春小説はすきだし。

始まりはこんな感じです。

「So in order to understand everything that happened, you have to start from the premise that high school sucks. Do you accept that premise? Of course you do. It is a universally acknowledged truth that high school sucks.」

高校生のグレッグはある日ママに言われて(このママがかなり強烈な個性の持ち主)白血病の診断を受けた同級生の女の子に久しぶりに連絡をとる。

グレッグもその女の子レイチェルもユダヤ人で同じ教会に通っていて仲良くしていたことがあったから。ユダヤ教にも日曜学校みたいなものがあるらしい。

そこに子供の頃からグレッグと一緒に映画を作っているアールが加わった学校生活のお話。

アールは黒人で複雑な家庭に育った男の子。

アメリカのハイスクールっていうと、パーティーしたり車で登校したりプロムに行ったり…何だか自由で華やかなイメージだけど、そこはやっぱり日本の学校と同じで、イケてる生徒やイケてない生徒、グループや階級があり、主人公は少し対人面に問題があって、こじらせた高校生活を送っている。

どのグループにも属さないように細心の注意をはらったり、自意識過剰のあまり褒められると冗長な謙遜を始めたり…自虐ネタを愛しすぎて他人から慰められるとほほライフを送っている私にとってはかなり共感出来るキャラクターだ。

アメリカの高校って廊下にズラ〜っとロッカーがあって、授業ごとに教室を移動しますよね。大学みたいに。

あれって友達のいない子にとっては地獄じゃないだろうか。日本みたいにクラスの教室があり自分の机があれば少なくとも居場所がある。机にしがみついておけばいい。それがないと、一体どこに行けばいいの?

表紙は映画の写真だったから(映画の邦題は「僕とアールと彼女のさよなら」)、本を読み終わったら映画を見よう!と決めていた。

本当は逆の順番がいい。なぜなら、原作を読んで映画を見るといつも少しがっかりするから。多分読みながら自分の中で自動的に映像化してしまっているのだろう。

でも、本を読んたら映画を見ようって思うと、やる気が出るんですよね…。それで、自分にとっては不本意な順番になってしまう。

原作者が脚本も担当しているこの映画は原作のイメージを壊さないかもと思って見始めた。アーティスティックな可愛らしい映画だったけど、ストーリーもちょっと変えられていたりしてて少し残念。

やっぱり尺の問題かなとも思う。

100ページの本とかならともかく、原作に忠実にとなると2時間は短かすぎる。そういう意味ではドラマシリーズの方がいいのかもしれない。

それとも純粋に好みの問題なのか。

皆さんは本が先か映像が先か、どちらを先に楽しむのがいいと思いますか?

それともどちらか一方だけ?

色んな人に聞いてみたい。

物語の中で主人公の少年も少し成長する。

若いっていいな、青春小説やっぱり好きだなと思った。

 

 

 

"Paris for One and Other Stories" Jojo Moyes

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*老いなのか?体質なのか、何なのか?*

1年に1度か2度はやってしまうのである。

図書館に行き本を借りてきた。

最近アメリカの本ばかり読んでたから、イギリスの作家の本を探して、あまり難しくない軽〜いのがいいと思って、この本を読み始めた。

3分の1ほど読んだところで、「?」となる。

私、この本読んだことある?

でも、どういう結末だったかは全く覚えておらず、とりあえず最後まで読む。これは短編集だったから、結果として他の話も全部読んだ。

こういうことが時々起こるのだが、これは個人的なことなのか、それとも誰にも起こることなのか。

わからないが、例えそれが推理小説だったとしても、犯人は最後まで全く検討もつかない。脳はまっさらな状態だ…どーゆーこと?と思う。

アガサ・クリスティ原作のドラマも好きで何度も同じものを見るのだが、いつも犯人がわからない。原作も読んでいるのに、だ。

これは一体得なのか損なのか。1粒で2度楽しめているのか。

でも、覚えてないってことはたぶんどーでもいい(私にとっては)本だってことで、どーでもいい本を何度も読む。しっかり覚えている良い本は1度しか読まない、という悲劇がここに生まれている。

アガサ・クリスティの本はどーでもよくはないんだが、好きすぎて読みすぎてでも全部なんとなく似てるから何がなんだかかんだかカオスなのか。

ひとつだけ言えるのは、英語の本に限っては、このブログを書き始めたから、今後このような失態を繰り返すことはなさそうだということだ。

めでたしめでたし。

ところで、この本もハッピーエンドです…これってネタバレ!?

ロマンス小説の90パーセント以上(統計に基づかない肌感覚の数字)はハッピーエンドだから、どうかお許しください。逆に不満足な結末だとムッとすることもある。

ボーイフレンドとパリへ行くはずだったのに、ドタキャンされるというこの上ない惨めなオープニングだが、ほら、パリは素敵な街、女の子に魔法をかけるのよ。オーシャンゼリゼ(シャンゼリゼ)…ってまぁもうわかりきったパターンだけど、楽しけりゃいいんです。そういう軽い感じを期待する人の読む軽い読み心地の小説。そういうものも必要だ。全部の本が「罪と罰」みたいだったらそれはそれで辛かろう。

同じ作家の「Me Before You」というタイトルの小説が原作の映画を観たことがある。号泣。ラブコメかと思って軽い気持ちで見て騙された。ラブもコメもあるにはあったが悲しすぎた。それで、絶対その本は読まないつもり。

やっぱり、ロマンス小説はハッピーエンドを約束してほしい。それが陳腐でも構わない。悲しい結末の素晴らしい小説より素敵な結末のどーでもいい小説の方がいい人もいればそんな気分の時もある。

そういう意味ではこの小説を何度も読むのは正解なのかもと思わないでもない。ハッピーエンドにより普通すぎたことが結末も覚えてなかった原因かもしれないと思いたい。

"Stoner" John Williams

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*塵に同じ*

この本を読んでる間ずっと頭の中で「祇園精舎の鐘の声」が鳴り響いていたのであった。

カラーンコローンカランカランコロン…これは鬼太郎の下駄の音だった…。キーンコーンカーンコーン…じゃなくて。ゴーン、ゴーン…これかな?

日本語のオノマトペや擬態語は面白いので研究してみたいです。

土曜日の朝日新聞には読書欄があり、毎週読むようにしている。ひと通り読むんだけど、読みたいと思う本に出会えるのは多くても1年に1冊か2冊程度だろう。けれど、必ず目を通す。他にも雑誌やインターネットで本の広告や書評を見つけたら必ず読むようにしている。それは、好きだからでもあるけど、本の虫は常に頭の上の二本のアンテナをピーンと張ってなければならないのです。そうせねば、本の声をキャッチし損ねる。

それは習性である。

それで、そんなある土曜日の午後、この本の書評を読んだ。と言うとなんかかっこいいな。わは。

すぐにアマゾンで調べてみる。みんな褒めてる。「たぶん私この本好きだな」とわかった。で、即購入した次第です。

古本を購入。状態は良かったが、ページを開くとあふれ出る香水の香りが強すぎて読めなかったので、しばらく放置。1ヶ月ほどでその香りは去っていった。どんなお方が読んでいたのでしょうか…?

「Stoner」というのは、主人公の苗字である。日本語だったら「山本」みたいな?でもstoneだからむしろ「石本」か。日本語ではこういうタイトルの本はないなー。表札みたいになっちゃうからかな?日本語だったら「石本太郎の生涯」みたいになるのかな。

高校の授業で「All work and no play makes Jack a dull boy.」ということわざを習ったとき、先生がJackという名前は英語圏では太郎みたいなもんですって言ってた。本当か!?今Googleで調べてみたところ、どうやら本当らしい。すごいです、先生!ほんとでした。昔はスマホなかったのに知識豊富だったんですね。その先生が誰だったかも他になにを教わったかも覚えてないけど、このコメントだけは鮮明に覚えている…先生すみません。教育とは無駄なものなのでしょうか。

主人公StonerのファーストネームはWilliamなのです。

Jackが太郎だとすると、Williamは次郎?まぁ、とりあえず「石本太郎の生涯」ではなく「石本意思雄の生涯」(邦題仮)ということにしておきます…。willだからね…。

日本語でも読めます。読書欄に載ってたのは翻訳版でタイトルは「ストーナー」でした…無難だな。

作家の苗字がWilliamsで主人公の名前がWilliam。ここんとこに込められた意図はあるのかわからない。この作家も大学で教えていたそうなので、自伝的要素もあるのかもしれない。

苗字と名前が一緒の人物に遭遇するというのは英語圏ではよくあることなのではないかと思うが、そういう時人はどんな反応をするのだろうか。「あ、どもども。」みたいな感じ?それとも無反応?名前の珍しさにもよるのかな。自分の名前と同じ苗字を持つ人と結婚した人の話をどこかで読んだ気がする…。

ホント地味な話で、大事件とか大冒険とかは何もないんだけど、不思議と惹き込まれる物語だった。

農家に生まれた男が運命に導かれるように大学に入り、農学を勉強していたはずが文学にはまって文学部の教授になる。それなりに恋もあり争いもあるが、話は淡々と進んでいく。

Stonerという人は稀に見る無骨で寡黙なヒーローで、こんなに喋らない主人公は珍しいのではないかと思う。そして悲しい時、百姓の面影が残る手をぎゅっと握りしめたり、窓の外をじっと眺めたり、痩せたり年老いてしまったりするのだ。

頑固で自分の主義を曲げない。そしてほとんど運命に抗わない。そんな彼は時々かっこいいとさえ思えた。

冒頭から繰り返し述べられているのだが、「ストーナーが死んだ後、彼のことを覚えている者はほとんどいなかった」らしい。けれど、この人物は生きてそこに存在していたのだ。悲しみや喜びや苦悩とともに。

もちろん、架空の登場人物なのではあるが。

人は死んだらいなくなる。その点では誰しも平等で、それは悲しいような心安らぐような事実だ。

この本を読むと哲学的な気分になり、マルクス・アウレリウスの「自称録」や「平家物語」や「方丈記」が頭に浮かんだ。

そもそも、この本は1960年代に出版され、世の中から忘れられかけていたが、2000年代に再発行され、それを読んだフランス人に翻訳されフランスでベストセラーとなり、イギリスではイアン・マキューアンが絶賛して爆発的に売れ、そして日本でも翻訳されてしばらくしてじわじと売れ始めたらしい。私のように、朝日新聞の書評欄を読んで手に取った人も多いだろう。

良書は滅びない?いや、たぶんたくさん滅びてるだろうけど、良い本の持つミラクルパワーを信じさせてくれる逆転ホームランだ。

でも、ホームランを放った当人はあくまで地味で控え目な。

野菜に例えるなら、牛蒡のような。

地味だけど滋味深いお話でした。

 

 

 

"Breakfast at Tiffany's" Truman Capote

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*本とは一体誰のもの?*

この本は読書会で読みました。

オードリー・ヘップバーン主演の映画がとっても有名だけど、もしかして若い人は映画も知らないのかもしれない。

読み始める前に「原作と映画はかなり違うらしい。どんなふうに違うか知りたいですね。」と読書会の人達と話した。

そもそも原作者のトルーマン・カポーティは映画化する時、ヒロインのホリー役をマリリン・モンローにやってほしかったのだが断られたそうだ。そして、この映画のエンディングが原作と違いロマンティックなハッピーエンディングになってしまっていることに激怒していたとのことです。

私も本を読んだあと映画を観てみたのだが、途中退屈してホットカーペットの魔法により居眠りしてしまった…。

原作では、語り手である売れない小説家はホリーの忠実なる下僕で、そこがかわいい。少女漫画によく登場する永遠の片想いをしているタイプ。

しかし、映画ではジゴロのようなマッチョマンになっていて、なんだか不必要に上半身裸でベッドに寝そべっていたりして、うんざり。アメリカではこういう男がウケるのか…?それとも作る側がそう思っているだけなのか。わからんが、私的には「それは…台無し!」な感じだった。

それから、どうしてもオードリー・ヘップバーンの喋り方と声があんまり好きじゃないんですよね…。なんて言ってるかよくわからんし…これも完全に私的な好みです。オードリーファンの方には申し訳ないけど。

昔の映画だから仕方ないのだか、気になったのは始終喫煙飲酒しまくってるし、受動喫煙させまくってるし、あと許せないのは吸殻をそこらじゅうにポイ捨てしまくっているところ。「ピピーッ!レッドカード。退場!」と私の中のジャッジマンが叫ぶのだった。

ニューヨークの街の風景が楽しめるのはいいなと思いました。

ニューヨークを舞台にしたロマンス映画では、ヒロインはほぼみなあのアパートに住んでますね!レンガでできた、入口に階段のあるあのブルックリンのアパートメント!

同じ町を舞台にしたいろんな時代の映画を一気見してみると楽しいかも…。

そして、どんな原作であれ、この順番は正しくない。本を読んだあと映画やドラマを観てがっかりしなかったことはあまりない。映像のあと本を読む方がいい。これもあくまで個人的意見です。

誰だったか忘れたが、ある作家が言っていた言葉がある。それは「本とは出版されたら読者のものなのです。それをどう解釈しようと読者の自由であって、作家がとやかく言うべきではない。」というものです。潔い。確かに自分の作品を作った当人が解説するのは無粋な気がする。

読者としても自由に読んで自由にいろいろなことを考えたい。

ましてや映画となると、作家はその権利を売ってかなりの金額を手にするわけだから文句は言えないのではないか。もし、文句を言いたくなるようなら売らなければいいし、自分で脚本を書くとか監督をする人もいる。契約の時に条件をつければいいのだ。

この本の話に戻りますが、100ページ足らずで長くないし、 文章も素敵でどことなくおしゃれです。

大人のためのおとぎ話みたいだなーと思う。野良猫みたいな女の子がティファニーのような理想郷を求めて旅を続けている…そこが現代の(?)ニューヨークだから問題が起きる。

当時(第二次世界大戦中?)の雰囲気やスラングも味わえるし、読んでるとちょっとかっこいいしおすすめです。

ただ、簡単な単語ばかりの文章でも油断してるとなんのこっちゃら意味わからんというような状態に陥ることがままあるので注意。これってアメリカ文学っぽい!?って勝手に思ってます。

ティファニーでは朝食も昼食も夕食も食べられなかったのですが(宝石店だからね…)、なんと、2017年からカフェができて、予約をすれば朝食食べられるらしいですよ!カポーティもびっくりだよ!

どんな朝食かな〜、食べてみたいな〜と夢が膨らむのでした。

 

"Book Lovers" Emily Henry

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*前髪考*

あけましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いします。

ということで、今年も自分のペースで地道に読んで描いて書いていきたいと思っております。

できればもっとたくさん読みたい!

反省としてはスマホに時間奪われてないか?と言うことです。気づいたらスマホ見てる…そんな時間を減らしていきたい、とスマホにディスプレイする。

矛盾だ。矛盾との共存でがんばっていきたい。

この本は図書館にありました。

2年ほど前に同じ作家の"People We Meet on Vacation"という本を読んで面白かったので借りてみました。

わわわ、ブログを書いているおかげでいつ何を読んで何を考えていたかわかるってすごい。それだけでもありがたい、書いててよかった。人気なくてもがんばろうと励まされる。わは。

眉毛を露出していないと自信を失うタイプなので(そんなタイプがあるとすればだが)、私の場合前髪はいつも短いか長くしておでこを出している。

何故そんなことを突然言い始めたかと言うと、個人的にはあまり主人公に共感できなくて、読むのに時間がかかり、「わー、面白かった」って感じじゃなかったんだけど、前髪の話だけが印象に残ったからだ。

ヒロインが妹と旅行に行って、「ブラインド・ヘアチェンジ」(私による造語)する。お互い鏡を見ないで相手の髪の毛を染めて、切る…かなり危険な遊び。

それでヒロインは前髪パッツンになる。

その後、最終的には恋人になる男子に遭遇するわけだか、この二人は以前面識があったので、彼としてはビフォーアフターを知っているということになる。

そこで二人の会話。

男: Nice haircut, by the way.

女: Straight men love bangs. They make women approachable.

男: Nothing more intimidating than a forehead.

そうなん?まじで?と思ったけど、ふざけてるのかな?それともいちゃついてるだけなのか。

いまいち空気感というか行間読めず、それが今回の敗因かもしれないと思った。

最近知り合いの人が髪を切っているのに気づき、「髪切ったんですね。」と声をかけたところ、「おでこのシワが気になったから前髪を作ったの。」という答えが返ってきた。そういう手もあるのか…。

前髪に多様な可能性があると知る。

前髪のことは、アメリカではbangs、イギリスではfringeと言うらしいですよ。bangsは比較的新しい単語だそうです。片方は複数形、もう片方は単数形?って違和感だけど、bangsをbangって言ってしまうと、違う意味の言葉に取られていまい、かなり危険なことになってしまうかもしれないので気をつけましょう。

こういう風に、アメリカ英語とイギリス英語、そして英語が使われている他の国々でも、ボキャブラリーや発音がかなり違うので、面白いですね。それに関するYouTubeとかもたくさんあります。

YouTubeも時間泥棒ではありますけど…本読めないわけだわ。

こんな話になるといつも思い出すのが「Let's call the whole thing off」というジャズの曲。イギリス人とアメリカ人のカルチャーギャップを歌ったものです。今は昔ほどじゃないだろうけど。楽しい歌なので、興味がある方は聴いてみてください。

皆さんはどんな前髪、してますか?

 

 

 

 

"The Giraffe and The Pelly and Me" Roald Dahl

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*悲しみのない世界*

「読書が趣味」とか人に言うと「どんな本読むの?」と聞かれるので「悲しい本と怖い本以外ならなんでも読みます」と答えることにしている。

だけど、厳密に「全く悲しくない本」というのは、ほぼほぼ存在しないと言っていいと思う。

どんなハッピーエンドの物語だって、起承転結の「転」の位置辺りに、何らかのトラブルや悲しいエピソードを孕んでいるのだ。それによって、結末の「めでたしめでたし」感が引き立つし、そもそもそういう波乱がなければ、全ての小説は100ページくらいで終わっていまうに違いない。

だが、しかし、ここにあったのです!何もかもうまくいくハッピーな世界が!

ブックハンティングをしに図書館へ。ロアルド・ダールだからとりあえず掴んで借りてきました。

薄くて絵が沢山だからすらすら読めて気持ちいい。あっという間に読了です。

全然嫌なことが起こらない。全てが良い方向へと進んでいく。ずーっと楽しくてにこにこする。

やはり73ページしかもたなかった長さだけど。

きりんとペリカンと猿と少年が窓掃除の仕事を始める。きりんは背が高いから梯子になって、ペリカンはくちばしに水をためてバケツ役をするのです。ほんと、天才だなーと思います。

家にあるロアルド・ダールはみんなぼろぼろだ。子供たちが何度も繰り返し読んでいたから。

子供だって楽じゃない。いろいろ嫌なこともあるだろう。ひとたび表紙を開けば、楽しくて愉快なことばかりのこんな本がたくさんあっていいと思う。

本を読んでいる時くらい何も考えず幸せでいていいのではないでしょうか。

数ヶ月前、ロアルド・ダールの出版社が、本の中の「不適切」な表現を変更すると発表して大騒ぎになっていた。本人は故人だから何も発言できない訳だが、あまりにも反対する人が多かったので取り止めになったらしい。

それも、「アッホ夫婦」(この訳も思えば「不適切」かもしれない…)の奥さんが「fat」と表現されているところを「enormous」に換えるとかそういう話が例として挙げられていた。う〜ん、それじゃ「enormous」は適切かって話だ。

それに、文章の中で言葉を換えるとリズムが崩れてしまう。言葉遊びも意味を成さなくなる。

「子供に悪影響がある」って言ってたけど。

どうなのかな。

でも、議論するのはいいことだろう。出版社も世間の意見に耳を傾けて中止にしたのはすごいと思う。

ロアルド・ダール本人にしても、生前問題発言があったらしいけど、だからといって本までが悪い訳ではないのではないか…。

正しさをぎゅうぎゅう押し付けるのはよくない。

文学にパトロールは要らない。

"Skipping Christmas" John Grisham

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マリアさんの気持ち*

寒いのは苦手だ。

人間は何故冬眠しないのか。

熊は冬眠している時は何も食べないのか。

トイレにも行かないのか。

と、いろいろ考えるが、冬眠はできそうにないので、できるだけ冬を楽しく過ごしたい、と思い、冬らしい本を読んでみる。

インターネットで「クリスマス おすすめ 洋書」とかで検索。ディケンズの「クリスマス キャロル」もカポーティの「クリスマスの思い出」も去年読んでしまった。毎年同じ本を読むというのもありかもしれない…。

ジョン・グリシャムの本は一度読んでみたいと思っていたので、この本を選んだ。幸運にも図書館にあるらしい。もちろんと言うべきか書庫納で…皆さん、図書館の倉庫はお宝でいっぱいですぞ(長老の口調で)。

端的に言うと、現代アメリカ版(2001年初版)クリスマスキャロルといったストーリーです。

ある冬に、会計士の男が、去年のクリスマスに6,100ドル使っていたことに気づく。2023年12月現在日本円に換算すると893,216円だそうです…。結構な金額ですね。円安だし。

それで、クリスマスなんてお金の無駄遣いだと思い、今年1年だけクリスマスを休んで南の島へクルーズ旅行に行こうと思いつく。妻も巻き込んで、事態は思わぬ方向へと進んでいくのだ…。

アメリカのクリスマス(と言ってもいろいろなんだろうけど)って大変なんだねー。物語の舞台はアトランタ空港から車で20分の場所にあるらしいんだけど。お付き合いとかチャリティーとか。

主人公は半ば意固地になってアンチクリスマスを貫こうとする。笑えるけど、あまりにも皮肉な笑いで、正直なところ読んでいていやになってページがなかなか進まなかった。

それが最後の最後になって、怒涛のハッピーエンドへと向かうのだが、これまで溜まりに溜まっていたフラストレーションが一気に開放される。流石ベストセラー作家、上手いなーと思いました。

でも、個人的にはなんかしっくりこない。あまりの主人公の変貌ぶりに、素直に共感して「よかったねー」ということができなかった。

結局お金か…それがアメリカか…と思わんでもない。

最近クリスマスが近づいてきて、ひとつ気になっていることがある。人に言っても「はぁ?」という反応だ。

キリスト教を信じていらっしゃる方はここから先は読まないでください。たぶん気を悪くすると思います。

というのは、「マリアさんはそれでOK?」ということだ。いきなりなんの意思確認もなく受胎告知、そして処女懐胎ってどういうこと?それでいいの?馬小屋で産んだら大変じゃん!?とか思う訳です。

だって母親になるって大変なことだ。

世界がひっくり返るんだから。

先日、朝日新聞に作家の金原ひとみさんが母親になることとアイデンティティみたいなテーマで寄稿している文章を読んだが、激しく同意した。

母親になると一時的あるいは永久的に自分を見失ったりもする。

だからマリアさんは聖人ってことなの!?

世の中にはもっと悩むべきことあるだろ!?っておっしゃる通りです。

読んだ本に共感できないこともあれば、誰にも共感されないこともある。

それでも自分らしさを失うことなくがんばっていきたいと思う年の瀬です。