Bookeater's Journal

洋書の読書感想文

"Amsterdam" Ian McEwan

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*情報の取捨選択*

子供の頃「アルプスの少女ハイジ」を見ながら「ハイジは一体いつお風呂に入ったりトイレ行ったりしてんのかな〜?」とよく思っていた。誰しもが持つ疑問なのか、そうじゃないのかわからんけども、そうなのだ。

「たけしは朝7時に起きてトイレに行った。朝食にご飯と味噌汁を食べて歯を磨き髪を梳かし顔を洗って荷物の確認をしてから家を出た。」…そんな小説、ない。

主婦が主人公だったら?めっちゃ皿洗う。「一生のうち人が洗濯を畳んでる時間は5年間」とかいうデータを知り愕然とする。私なんか家族の分も畳んでたりするからどーなんだ!?

人間生活は多様な雑事でいっぱいだ。だから何を描いて何を省略するかは作家の裁量次第なのです。当たり前なようで意識していない事実!じゃありませんか?

そんなこと改めて考えさせられた。この本は以前1人でさらーっと読んでいた本だったのだが、それをブッククラブで読みました。私、読みが浅いわ…と痛感。

読書会はネイティブでない人々で構成されているため毎回5、6ページを読んで内容についてディスカッションしています。ゆっくりじっくり読んで、他の人の意見を聞いて自分の誤読に気づいたり、同じ文章を読んでも人により解釈は千差万別なのが面白い。

同じ小説家の「The Cockroach」という小説についてこのブログで書いたことがあるが、ほんと一癖も二癖もある御仁だ。偉大なる変態でもあられる。いい意味で!

お話はある葬式で始まる。ある中年女性の死後、その女性の元恋人達2人の人生が狂い始める。登場人物達の生活について、トイレに行った様子とかワインを何杯飲んだだとか、細々とした描写があり、読者はこの人々の生活の一切合切を知っているような気にさせられてしまうのだが、実は肝心な情報は最後の最後まで与えられていない。それで、読み終わったあと、なんだか裏切られたような狐につままれたような気持ちになった。

ミステリーには時々フェアプレイの小説ってある。「全ての情報が読者に開示されているので、推理してみて下さい。」筆者から読者への挑戦状という訳だ。いくら読んでも犯人を当てられた試しがないが、アイデアとしては楽しいし大好きだ。

こういう風に「フェアですよ」って宣言しない限り与えられる情報量は作家のさじ加減次第ってことなんだろう。

この本もミステリーの要素はたっぷりあるけど、明らかにフェアプレイじゃない。フェイントとかドロップショットでいっぱいだ。

ほんとおかしいんだけど、男子トイレの事情とかそんなに知りたくないのに詳細なのでちょっと紹介してみたい。Vernonという新聞の編集長が用を足し終わったところに、Dibbenという部下がやってくる。

「Rather than look round from the drier and be obliged to watch the deputy foreign editor at his businesses,Vernon gave himself another turn with the hot air. Dibben was in fact relieving himself copiously,thunderously even. Yes, if he ever sacked anyone,it would be Frank,who was shaking himself vigorously, for just a second too long,and pressing on with his apology.」

英語で読むのめんどくさい人のために訳してみると、「ハンドドライヤーから振り返って海外欄の副編集長が用を足すのを見るよりましだと思い、バーノンはもう一度熱風に当たることにした。実際ディベンの放出は盛大で轟きわたるほどだった。そうだ、もし誰かを首にするとしたらそれはこいつに違いない。当の本人はというと、長々と勢いよく体を震わせている。そしてもう一度詫びを入れてきた。」

放尿が「thunderously」ってさ~。天才だと思う。下品な話題になって申し訳ありません…。

そして、このお話は章によって語り手が変わるのだが、語り手によって文章の様子がガラリと違ってくる。Cliveという登場人物は作曲家なので音楽用語を多用して全く訳の分からんことを言ってくるので、一部全くお手上げな部分もあった。翻訳を読んでもわからなかった。音楽に詳しい人ならわかるのかな。読書会では「出た。クライブ節!しょうがないね。」ってことになっていました…。

カズオ・イシグロの本とか読むとお話によって全然文章が違うことに驚く。なんだかカメレオンみたいで掴みどころがない。

あまり意識しないで読んでるけど、書く人は語り手のバックグラウンドとか性格とかすごく考えて文体を選んでるんだろうなとは思う。ほんと作家の人々には失礼だけど、読者は結構ぼーっと読んでます。逆に言えば、違和感ないから気づかない=成功!と言えるのかもしれない。

当たり前のことながら小説を書くって大変なことだ。本が売れなくなって小説家が滅びないことを祈る。そもそもお金のために書いているのだろうか。書きたいから書くのだろうか。AI作家が当たり前の世の中になっていくのだろうか。果たしてAIが書いた文章と人間の書いたものの違いが読んでわかるのだろうか。

疑問は尽きないが、ちょっと変わった読書体験をしたい方は読んでみてください。邦題も「アムステルダム」です。

 

"Lessons in Chemistry" Bonnie Garmus

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 *何故に被う?*

「あ〜、面白かった!読んでよかった…。」と心の底から思うことって実はそんなに多くない。この本はそういう本で、読後満足感が非常に高かったです。何か読みたいけど何にしようか迷ってる人…これ!お薦めします。ベストセラーになってドラマ化もされたらしいから、もうすぐ翻訳も出るはず。

実は人に本を薦めることは滅多にない。というのも、読書とは時間を食うものなので、人の時間を奪うようで気が引けるからだ。それに、読書のメインロードと言うよりもけもの道を歩いているという自覚があるため、自分の好きな本はおそらく多くの人にとってはつまらないだろうという思いは確信に近い。

でも、ネットで調べたら、すごく評判がよかったので、大丈夫。安心した。いつも計算ミスをして算数で赤点とっているのになぜか100点を取り、先生に褒められたような気分です。やればできる。できる子だと思ってたよ。根拠の無い自信を得た。

この本は、次に読む本を求めて図書館へさすらいの旅に出掛けた時、新着本のコーナーで発見したのだった。ん?偉いのは私ではなくて図書館だった?司書さんすごい!

思えば図書館の人達も誰にも褒められず、本を注文し貸し出し、並べているのだ。感謝の心を忘れないようにしたい。ありがとうございます。

図書館司書は憧れの職業だ。本をピッてしたい。そして、他人がどんな本を読んでいるか知ることができる。わはー!悪の喜び。逆に考えると、私の読む本もチェック入ってるのだろうか…?頭いかれてると思われてないことを祈ります。

1960年代、アメリカにある女性の科学者がいる。自分は生まれながらの科学者だと思い、科学者であることに誇りを持っている。その頃社会は女性を軽視している。彼女は敢然とそんな社会に立ち向かって行くのです。でも、不本意ながら、経済的理由によりTVシェフをすることになります。そんな女の人の挫折と愛と希望を描いた物語です。

端的に言うと、フェミニズムはこの話の重要なテーマなのだが、ヒロインはことさらに女の権利を主張したり大騒ぎしたりしない。ただ毅然としてあるがままの自分でいる。率直で正直だ。そこがかっこいいと思った。

だから、攻撃的なフェミニストがちょっと苦手な人や男性でも楽しめるのではないかと思う。正直、男性の気持ちは全くわからないのでなんとも言えないが。男性にもいろいろな好みの人がいるだろうしな。未だに女性作家の本が好きって言う男性に会ったことがない。「赤毛のアン」大好き!とか言う男の人も世の中にはいるはずだ。たぶん?きっと?そんな人がいたら友達になりたいものです。

表紙もカラフルでかわいいです。「Lessons in Chemistry」って書いてあったらなんだかお勉強の本みたいじゃないですか?知的に見える?

「Love equation」とか「The Love Hypothesis」とかそういうタイトルの本が流行ってるのかな…?こういう本の読者の大部分はおそらく文系女子であるからして、理系への憧れなのかもしれません。

一般的に洋書のペーパーバックの表紙はあまりパッとしないものが多い。日本の本の表紙は文庫であっても凝りすぎなくらい全力投球なのは、やっぱり国民性かと思う。

そしてそんな素晴らしい表紙を日本人はブックカバーにて被う。英語で表紙のことをcoverと言うから、coverにcoverしてると思うとなんかおかしい。外国の人はあまりブックカバーしないような気がするけどどうだろう。

日本人には「自分が読んでいる本を絶対他人には知られたくない」っていう人も結構いるらしい。私もブックカバーをするけど、どちらかというと、うちのテーブルはいつも水やらお茶やらこぼれているから本を汚したくないというのが主な理由だ。

最近電車の中などで本を読んでいる人はほんとに少ないから、そういう人がいると何読んでるのかなーと思うけど、やっぱりブックカバーしてるからわからない。ブックカバーをしない外国の人に言わせると、「何を読んでるかわかった方が話のきっかけになっていいじゃない?」ということなので、ブックカバーは拒絶の印なのか?

しかし、スマホカバーやピアノカバーは外国にもある。それは傷つき易いものを守るためだ。もしかして、元々は本を保護するためにブックカバーをしていたのが、プライバシーを守ることに変化したのか。ちょうど、感染を防ぐためにしていたマスクが顔を隠すものとして重宝されているようなものだ。人は隠すことに居心地の良さを感じるものなのか。

それとも単に日本人はカバーというものが好きなのかもしれない。昔、手芸好きのご婦人の家に行くと、あらゆるものに手作りのファンシーなカバーがかけられていたものだ。黒電話カバーにティッシュケースカバー、挙句の果てにドアノブにまでカバーがかけらけていた。使いにくいったらありゃしないが、あれは彼女達の実力を披露するいい機会だったのだろうと思う。

ありのままの自分を目指すなら、まずはブックカバーをやめてみようかなと思う。マスクを外して堂々とあるがままの本を読む。そういうのってかっこいいんじゃないだろうか。

 

 

 

 

"The Sun Also Rises" Ernest Hemingway

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*素晴らしき哉、文豪!*

有名な小説は、人に「何読んでるの?」と聞かれた時堂々と答えられるのがいい。タイトル名や作家名だけだとしてもみんな知ってるから、そこから話が進むのだ。これがマイナーな小説だとそうはいかない。知らないだろうな〜と思いつつ自信なさげにボソボソと答えてしまい、オマケに答えたあと「?」という顔をされ沈黙が流れて気まずくなる。でも、聞いてくれてほんとありがとう、お気持ちだけはありがたく存じます…と思う。

ヘミングウェイの「移動祝祭日」を読んでから、他の本も読んでみたいと思っていたのだった。特にこの本は彼がパリに住んでいた頃に書いた初の長編で、友達をモデルにして書いたものだからみんなを怒らせてしまい、左岸から右岸に引越したという…。

それに日本語のタイトルは「日はまた昇る」だから、てっきり原題は「The Sun Rises Again」なのかなと思ってたけど、直訳すると「日もまた昇る」ではないのか。alsoという言葉の示唆するところは、太陽の他にも何か昇るものがあるということ?それが何か知りたくて読みました。

Kinokuniya Books Tokyoに行った時、買おうとしたら、同じ「The Sun Also Rises」だけで5、6冊もあり、じっくり吟味して最も字の大きい本を買うことができた。感動。選ぶポイントそこかよ!?と思われるかもしれませんが、そこが最も重要なのです。さすが文豪だなーとうきうきする。

それから半年が流れ、ようやく読むに至る。私の前には長い長い本の行列があるのです。人気ラーメン店並です。回転は遅めです…。

本文に入る前にもう答えを手に入れたというか、2つの文の引用があり、それがタイトルの説明になっていた。

この、小説の前に小難しい引用がある小説ってかっこいい。私も小説を書くことがあったら(ほぼほぼないけど)ぜひ取り入れたいと思う。あと、献辞!「この本は誰々に捧ぐ…」これ、やりたいです。

この本はヘミングウェイの別れた一人目の妻と息子に捧げられています…。もう次の妻いるんだけどね。複雑だよね。離婚した夫に本捧げられてもね…。文豪の妻も大変だ。

ヘミングウェイは4回も結婚している。いろんな国に行ったり、釣りしたり、闘牛見たり…それらのことを全て小説に取り入れる。家族だって友達だってネタにしてしまう。そのくらいの芸術至上主義じゃないと文豪にはなれないのだろうかと思う。

幸せなのかな。それは愚問だ。なんだか「鶴の恩返し」を思い出す。自分の羽で反物を織る。恩返しはしないけど。それとも、ある意味元妻と子供に恩返ししてる?

ヘミングウェイフィッツジェラルド達、第1次大戦後に活躍した作家達は「ロストジェネレーション」と呼ばれてるんだけど、ここに聖書の引用がある。「One generation passeth away, and another generation cometh; but the earth abideth forever…The sun also ariseth, and the sun goeth down, and hasteth to the place where he arose…」古い英語で読みにくくて恐縮ですが、ヘミングウェイがかっこつけて書いてるから仕方ない…。訳してみると、「一つの世代が去り、次の世代が来る。しかし、地球はあり続ける。日もまた昇り、そして沈み、昇り来た場所へと急ぐ…」

ここからタイトルが取られているって言いたいんだろうね…?どういう意味で?何の説明もないから、のっけから読者を考えさせる。

ヘミングウェイの文章はスッキリシンプルで、できるだけ余計な形容詞などは省いてある。登場人物の感情など説明されていない。読む人が行間を読まねばならない。そこが素晴らしく、難しい。

英語が母国語でない人間が読んでどの程度理解できているかは謎だが、私の大好物の文学的要素であるmetaphorやsymbolismが多用されていて、いろいろ隠された意味を考えながら読むのが楽しかった。

パリに住む1人の女と4人の男がスペインへ闘牛を見に出かける。それはいいんだけど、男の1人はその女性とプラトニックな恋愛関係にあり、2人目はフィアンセ、3人目は過去にその女性と2人で旅行に出かけたことがあり今でも未練たっぷりな様子ある。4人目はただの知り合いらしい。

それで疑問です。行く?そんな4角関係みたいな状態で、旅行に、行く?とまず思った。100人中100人が予想できる。絶対揉め事起きるって!やめた方がいいって!終盤から事態はますます混迷を極める。いや、ちょっと待った!ピピーッ!とホイッスルを鳴らしてイエローカードやレッドカードを出しまくるが、その願いも虚しく、物語の後半で事態はついに5角関係へと発展するのでした。ギャフン!

しかし、ここまで多角化すると、逆になんか爽やかだね。男同士で酒飲みながら、「あの娘は結構面倒見いいとこあるんだよな。」とか言ったりして。あ、そうなの?って感じ。そしてみんなずーっと酒飲んでる。

この女の子も「私ほんとダメな女ね。」とか男子に相談してくるんだけど、ほんと廊下に立っとれ!って思うよ。しかし世の中にはこのような女性は案外いる。その周りの男性もうれし苦しみながら翻弄されているので、ある意味ギブアンドテイクのハッピーエンドかもしれないと思う。ヘミングウェイもきっとこんな女性が好きなんだな。

なんだか辛口発言していますが、こんなこと言ってるといつも「出た!モテない女の僻み!」とか言われるので言わないようにしている。長々と書いといてなんだが。おまけにやたらとエクスクラメーションマークを連発してしまうのであった。

それで、この物語に登場するのは女性は1人だけで、あとは全員男。さすがマッチョです。その中では語り手のJakeがいい。哀しみを背負う優しい物書きなのだ。叶わない恋に苦しみながら、夜ベッドに横になって「It is awfully easy to be hard-boiled about everything in day time, but at night it is another thing.」というところではかっこよくて切なくてキュンときた。ヘミングウェイはハードボイルドの祖なんだった。

でもよく考えると、このJake はヘミングウェイが自分自身をモデルにしていると言われてるから、ちょっとずるいぞ。

結論として、人間生活とはまあ、あれやこれやと大騒ぎしている訳だけれども、茫漠とした時の流れから見るとほんのちっぽけなもんじゃないかとこのタイトルは言っているような気がする。おおらかに生きようではないか、諸君。

なんだか平家物語みたいだな。ひとへに風の前の塵に同じ。だから酒飲むか、みたいな。はは。ほんと、体壊すから。よいこは真似しないでください。

とにかくいろんな意味で楽しめる小説でした。また、ヘミングウェイ読みたいな。

さすが文豪!その一言に尽きる。

"Kate and Leopold" James mangold, Steven Rogers

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*正しいサンドイッチの具を選ぶ*

この本は小説ではなくて映画の脚本です。その名も「映画で学び、英語をまなぶ!DHC完全字幕シリーズ」。見開きの左ページに英語と語彙などの説明、右ページに日本語訳と字幕文が書いてあって、辞書を引かずとも読めます。写真も沢山あって楽しい。この映画の邦題は「ニューヨークの恋人」っていうんだけど、何とかならんかなと思う、ほんと。

図書館の本棚にこの本を見つけて読みたいと思っていたところ、NHKで映画が放送される…即録画する。これって天啓か!?という感じです。

こういうことって起こります。全宇宙が呼応し…って言ったら大袈裟だけど、メッセージを送ってくる。私の場合主に書物に関して頻発する現象ですが、人間にもアンテナってあるのかもしれません。それで、無料で(!)脚本と映画を学習(?)することができました。

最初に映画を1回見て、本を読んで、もう1回映画を見てみた。しかし、依然として聞き取れない台詞は存在していた。映画やドラマのセリフを完全に聴き取れるようになるまで見る…そんな学習法が成功体験としてよく紹介されてるけど、飽きっぽい私には向かないとわかる。2回で飽きる。また忘れた頃見てみたいと思います…。

前回紹介した「Rilla of Ingleside」という小説が辛すぎて連続的に読むことができず、のっけからこの本を手に取りサンドイッチメソッドにて読み進めるという暴挙に出たのでした。

世間の人がこういうことをやっているのかわからない。もしかしたら私独自のものなのか。商法登録かなんかしとくべきか悩む。しかし、世界にこのメソッドを浸透、普及させたいのでケチ臭いことは言わないことにします。

ふたつのストーリーや登場人物で頭が混乱しないのかって思うかもしれないけど、全然大丈夫です。だってドラマの好きな人は週に2つのドラマをフォローしたり普通にするじゃないですか。皆さんもサンドイッチやトリプルサンドやいろいろ試してみてください。どちらがパンでどちらが具なのかそれが問題ですが、読む割合が多い方がパンなのだろうな。

何の話をしてるかわからなくなってきましたが、基本この本はタイムトラベルラブコメって言葉で全て説明できるような単純なストーリーです。まぁそれでいいんです。だって安心だから。約束された幸福。そうじゃなきゃサンドにならん。

NYのキャリアウーマン(死語なのか?)が19世紀からタイムスリップしてきた英国貴族と恋に落ちる。

ヒストリカルロマンスを読み倒してきた読者としては納得いかない細かい点はある。公爵、現代社会に順応するの速すぎないか?とか、本当にこのエンディングを手放しで喜んでいいものか…とか。でも、メグ・ライアンはキュートだし、ヒュー・ジャックマンはかっこいいし、いいんだよこれで。

どうして俳優って表情だけで感情を表現することができるんでしょうか。すごい。逆に自分は悲しい時は悲しい顔を、嬉しい時は嬉しい顔をちゃんとできてるのか少し不安になる。他人に違う信号を送っていたらどうしようと思う。

この本のもうひとつの魅力としては、時代や文化によって違う英語を楽しめるってことでしょうか。レオポルドっていう19世紀イギリス貴族の英語と、ケイトの弟チャーリーの現代(2000年代)若者風チャラい英語、それからスチュアートっていうケイトの元彼の学者的英語…とバラエティに富んでいる。みんな違ってみんないい。

この映画は2000年の春、つまりアメリカ同時多発テロ事件前に撮影されたらしい。ニューヨークの風景も楽しめます。旅行気分で。それにしてもあれから20年も経ったとは信じ難い。

 

"Rilla of Ingleside" L.M.Montgomery

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*世界の片隅で戦争を考える*

7冊目です。

赤毛のアン」リーディングマラソンを去年始めたのだが、10月以降足踏みしていた。忘れていた訳ではなく、少し尻込みしていたのだ。だって、この本はすごーく悲しいに違いないと予想していたから。知りたくなくても、このデジタル社会では読みたい本のあらすじを知らずには過ごせない。それはいいことでもあり悪いことでもある。それで、読む気が出てくるまで放置しておいたら、ようやく読んでみるかという気になった。今は5月。亀のように進んで行きたい。亀は長生きだしねー。

この本は赤毛のアンシリーズなんだけど、主人公はアンではない。?と思う方もいらっしゃると思いますが、モンゴメリさんは大人気だからアンの本を書かなきゃならなかったのだが、ちょっぴりアンに飽き気味でおられたではと考えます。結果として、15歳のフレッシュで美しいけれど若干軽薄なアンの娘リラのお話になりました。勿論アンもギルバートも出てくるし、二人が相変わらず仲良しなのは微笑ましい。

しかし、少女の幸福の極みで始まったこの物語ですが、忽ち第1次世界大戦が始まって、戦地から遠く離れたカナダにも戦争の影が忍び寄る。当時カナダは英国領だったんですね…。18歳以上の若者(男性)が次々と戦地へと旅立ってしまう…。戦争だから。それもみんな志願して行っちゃうの。勇敢で愛国心があることを証明するために…。

それでいいのか!?それは美しいのか?!と疑問でいっぱいになる。

戦争でわたしが嫌だなーと思うのはプロパガンダです。戦争を美化する。戦意高揚のためなんだけど。例えどんな理由であっても戦争は殺し合いなわけで、戦争に行くのは勇敢で立派で行かないのは卑怯者と言われるというのはどうなのかと思う。私は息子もいるし最近は女性兵士もいるし、ほんとそんなことのために産んで育てたんじゃないんです!と言いたい。そしてロシアの人もウクライナの人もそうだろうけど、何だか気づいたら取り返しのつかない事になってた…普通の人々にとって戦争ってそんなもんじゃないのだろうか。昔の日本もそうだったし、いつそうなってもおかしくないと考えると怖い。

悲しい本だと思ってティッシュペーパーを用意して挑んだが、不思議と湧いてくるのは激しい怒りと無力感であった…。もちろんモンゴメリの小説だから、リラのラブストーリーでもあるし、戦争中でも滑稽な小さな事件も起こります。

折しも広島でG7が開催されたこともあり、戦争についていろいろ考えました。「ひとはなぜ戦争をするのか」というアインシュタインフロイトの手紙の本も日本語で読んだ。難しくてよくわかんなかったけど、フロイト曰く、「文化が発展すれば戦争は減っていくだろう」との事です。おかしいな~。文化発展してないのかな?と思う。同時に「文化が発展すれば少子化が進む」とも言っていて、こちらはあてはまる国もある。ということから考えると、文化が発展すると人間はもっと考えるようになるはずだったが、テクノロジーの発達で意外と考えなくなっちゃったねということなのかもと思った。

こんな極東でおばさんが一人戦争について思い悩んだところで何も変わる訳ではないとはわかっているが、それでも考えてしまう。この小説を読むと少しだけ自分の家族が戦争に行ってしまった気持ちを体感出来る、そんな力があると申しておきましょう。

読んでくれた方々を憂鬱な気分にさせてしまって非常に申し訳ないと反省しています。次回は楽しい本を読んでもっと楽しいブログを書くことをお約束致します。ピース!

 

 

 

"The Last Sentence" Tumelo Buthelezi

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*ドアを開けよう*

ドラえもんひみつ道具ランキング第1位はほぼほ「どこでもドア」ってことになっている。経済的、時間的、空間的あらゆる問題を解決してくれるスーパー優れ物なのだ。

人間の想像出来るものは実現できるって説があるが(ロボットとか)、タイムマシンやどこでもドアが完成する日は来るのか?最近のChatGPTとか見てるとそういう日も遠くないかもしれないと思わないではない。しかし、もし実現したとしても、実用化は許されるか疑問だ。だって、世界がえらいこっちゃになるじゃないですか!犯罪だってやり放題だし…。もしかして我々の知らないところでもう既に完成しているのかも。そしてそれはトップシークレットとして闇に葬られるのだ。

よいこのみんなはとっくに気づいてるかもしれないけど、どこでもドアは必要ありません。っていうか遠い昔からこの世にそれは存在しているのだよ。たったらーん♪(ここ、ドラえもんひみつ道具を4次元ポケットから出す時の音でお願いします)それは何を隠そう本なのであります。「はぁ?何言ってんだ?」と何だかシラ〜っとしてしまった方は読むのを止めてしまいましょう。

本は読む人を世界のあらゆる場所に連れて行ってくれる。世界に存在しない場所にも連れて行ってくれる。未来にも過去にも連れて行ってくれる。そして、どこでもドアにもない機能すら持っている。本を開いた瞬間から私達は時空を飛び越え誰にだってなれるのだ。電車の中にいても病院の待合室にいても寝ていても立っていても、大人も子供も老人も若者も関係ない。人間の頭の中には広大な宇宙が広がっているのですよ…。

それで今回私はKindleの自動扉を空けて何処へ参ったかと申しますれば、遥かなる国南アフリカへ馳せ参じました。つまり、南アフリカ人のオンライン英会話の先生が紹介してくれたある本を読んだわけです。この本のすごいところは南アフリカ人によって英語で書かれた本だという点です。なぜなら日本では全く情報が手に入らない未知の作家の書いた未知の本だから。非常に珍しい。もしかしてこの本を読んだ日本人は私だけかも!?多くても5人未満なのではないかと考えます。もし読んだ方いらっしゃったらご一報ください…。

なんか1ページ1行目から人が死んだりしてすごい。その人が幽霊になって復讐しようとする。魔術的な薬とかドラッグとか殺人とか売春婦とか盛りだくさんに出てくるが、別に怖くはない。感情的ではなくドライに書かれているからかな。この作者の初めての小説ということで、構造も凝っていて、小説の中にドラマの脚本がふたつも盛り込まれていた。

主人公の名前がBandile Ndalaっていうんだけど、アフリカの言葉って「ん」で始まる単語が多いように思う。「ん」で始まる言葉があるとしりとりしても負けなくて永遠に続けることができるな。でも音じゃなくて文字でしりとりする場合は「ん」じゃなくてもnやmで始まればいいわけか…。アフリカには2000(!)以上の言葉があるという。南アフリカだけでも34の言葉が話されていて11の公用語があるそうです。人類の祖先はアフリカから来たらしい…。彼らは何語を話していたのでしょう。

名作というわけじゃないけど、十分楽しめました。地名が出てきて地図を見たり。オレンジ川っていう川の写真がきれいだった….。そして、ところどころ折り混ぜられるズールー語の数々…Googleで調べてもわからず、ノート4ページ分の単語を先生に教えて貰う。今どきなかなかGoogleさんに聞いてもわからない事などないのではないか。カラスに聞いてもわからない。Googleに聞いてもわからない。ワンワンわわ〜んとなった私はズールー語の辞書を買うことまで真剣に考えましたが、Kindleにはろくな辞書がなく、辞書アプリもいいものが見つからず、紙の辞書は高くて届くのに時間がかかりそう…という窮地に陥ったのであった。なんだかデジタル社会に勝利?した気分。

アルゴリズムも私の検索履歴を分析してさぞかし困惑したであろうと思うと少しうれしい。人間はコンピュータの理解を越える複雑な生き物なんだぞ〜と信じたい今日この頃です。

「書を捨てよ。街へ出よう。」って言った人がいたけど、書物の中にも街がある。飛行機も新幹線も旅費もスーツケースもいらないから、表紙の扉を開けて出かけてみませんか?

 

 

"Normal People" Sally Rooney

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*彼らがそれを読む理由*

マーマレードを作った。

トーストにバターとマーマレード

甘くて苦い。苦くて甘い。おいしくてくせになる。

そういうことなんだろうな、と思う。

そもそも苦味とか酸味とか不味いとかいう味覚があるのはなぜなのか。体に毒なものを食べないようにするためらしい。ということは本来美味しいと感じるべきじゃないのかもしれない。

アガサ・クリスティの「ポケットにライ麦を」という小説では、マーマレードに入れられた毒に気づかず食べた社長が死んでた…みんな、気をつけて!

別にマーマレードに喧嘩を売りたい訳じゃなくて、苦しみとは時に甘美なのではないかという話をしたいのであります。

この本は図書館で借りて読んだ。アイルランドのお話。とってもとっても人気がある。最近BBCでドラマ化されてAmazonプライムなどで見ることが出来ます。

どうしてそんなに人気なのか?それが知りたくて読みました。

わかる。1ページ目から引き込まれて読んだ。普通本を読む時は半分くらいまで物語の世界に入り込めなくて時間がかかったりするけど、ノンストップです…。 読んでいる間ずーっと甘く切なく苦い気持ちを引きずっていた。いささか現実生活が上の空みたいな感じで疎かになる。子供が受験!とかのときには読まない方がいいかもです。わは。

高校生の頃に出会った男女がお互いに唯一無二の存在と感じながら、いろいろな理由からすれ違い誤解し合い傷つけあう。最後のさいごまでわわわとやきもする266ページ。同時に会話などかなりキュンとする場面もあります。たぶん読者はほぼ女性かな。chick lit と言えるかもしれないけどもっと文学的な何かがあるような。サガンの小説とか好きな人は好きかと思う。

果たしてこれだけ読者を翻弄しておいてこの終わり方でよいのかという気がしないでもないが、ハーレクインロマンスじゃないのよ。読者におもねらない、それが文学。谷崎潤一郎を見よ!もしくはフランス映画のような肩透かしを喰らう。

この主人公達、自分はどうしてみんなと同じように「普通」に生きれないのかと不安に思っている。他人の心の中は覗けないからわからないけど、みんなそうなんじゃないかな?若い時は特に。互いに絶対的な誰かを見つけた時、このままで大丈夫なんだと思えた時に「普通だ」って自信が持てるってことかな…。

みんな誰かを探している。恋人とか友達とか。絶対的な誰かが存在するっていうのはみんなが信じたい神話のようなものかもしれないけど。世界は沢山の人で溢れている訳だし。かと言って誰でもいいって訳でもなくて。この人は好きでこの人は好きじゃないとか、話が合うとか合わないとか、人と人との相性って何なんでしょうか…答えのない疑問に思いを馳せる今日この頃です。

今朝起きたら鶯が鳴く練習をしてました。春です。分かり合える誰か(?)をきっと彼も探しているのでしょう。