Bookeater's Journal

洋書の読書感想文

"Amsterdam" Ian McEwan

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*情報の取捨選択*

子供の頃「アルプスの少女ハイジ」を見ながら「ハイジは一体いつお風呂に入ったりトイレ行ったりしてんのかな〜?」とよく思っていた。誰しもが持つ疑問なのか、そうじゃないのかわからんけども、そうなのだ。

「たけしは朝7時に起きてトイレに行った。朝食にご飯と味噌汁を食べて歯を磨き髪を梳かし顔を洗って荷物の確認をしてから家を出た。」…そんな小説、ない。

主婦が主人公だったら?めっちゃ皿洗う。「一生のうち人が洗濯を畳んでる時間は5年間」とかいうデータを知り愕然とする。私なんか家族の分も畳んでたりするからどーなんだ!?

人間生活は多様な雑事でいっぱいだ。だから何を描いて何を省略するかは作家の裁量次第なのです。当たり前なようで意識していない事実!じゃありませんか?

そんなこと改めて考えさせられた。この本は以前1人でさらーっと読んでいた本だったのだが、それをブッククラブで読みました。私、読みが浅いわ…と痛感。

読書会はネイティブでない人々で構成されているため毎回5、6ページを読んで内容についてディスカッションしています。ゆっくりじっくり読んで、他の人の意見を聞いて自分の誤読に気づいたり、同じ文章を読んでも人により解釈は千差万別なのが面白い。

同じ小説家の「The Cockroach」という小説についてこのブログで書いたことがあるが、ほんと一癖も二癖もある御仁だ。偉大なる変態でもあられる。いい意味で!

お話はある葬式で始まる。ある中年女性の死後、その女性の元恋人達2人の人生が狂い始める。登場人物達の生活について、トイレに行った様子とかワインを何杯飲んだだとか、細々とした描写があり、読者はこの人々の生活の一切合切を知っているような気にさせられてしまうのだが、実は肝心な情報は最後の最後まで与えられていない。それで、読み終わったあと、なんだか裏切られたような狐につままれたような気持ちになった。

ミステリーには時々フェアプレイの小説ってある。「全ての情報が読者に開示されているので、推理してみて下さい。」筆者から読者への挑戦状という訳だ。いくら読んでも犯人を当てられた試しがないが、アイデアとしては楽しいし大好きだ。

こういう風に「フェアですよ」って宣言しない限り与えられる情報量は作家のさじ加減次第ってことなんだろう。

この本もミステリーの要素はたっぷりあるけど、明らかにフェアプレイじゃない。フェイントとかドロップショットでいっぱいだ。

ほんとおかしいんだけど、男子トイレの事情とかそんなに知りたくないのに詳細なのでちょっと紹介してみたい。Vernonという新聞の編集長が用を足し終わったところに、Dibbenという部下がやってくる。

「Rather than look round from the drier and be obliged to watch the deputy foreign editor at his businesses,Vernon gave himself another turn with the hot air. Dibben was in fact relieving himself copiously,thunderously even. Yes, if he ever sacked anyone,it would be Frank,who was shaking himself vigorously, for just a second too long,and pressing on with his apology.」

英語で読むのめんどくさい人のために訳してみると、「ハンドドライヤーから振り返って海外欄の副編集長が用を足すのを見るよりましだと思い、バーノンはもう一度熱風に当たることにした。実際ディベンの放出は盛大で轟きわたるほどだった。そうだ、もし誰かを首にするとしたらそれはこいつに違いない。当の本人はというと、長々と勢いよく体を震わせている。そしてもう一度詫びを入れてきた。」

放尿が「thunderously」ってさ~。天才だと思う。下品な話題になって申し訳ありません…。

そして、このお話は章によって語り手が変わるのだが、語り手によって文章の様子がガラリと違ってくる。Cliveという登場人物は作曲家なので音楽用語を多用して全く訳の分からんことを言ってくるので、一部全くお手上げな部分もあった。翻訳を読んでもわからなかった。音楽に詳しい人ならわかるのかな。読書会では「出た。クライブ節!しょうがないね。」ってことになっていました…。

カズオ・イシグロの本とか読むとお話によって全然文章が違うことに驚く。なんだかカメレオンみたいで掴みどころがない。

あまり意識しないで読んでるけど、書く人は語り手のバックグラウンドとか性格とかすごく考えて文体を選んでるんだろうなとは思う。ほんと作家の人々には失礼だけど、読者は結構ぼーっと読んでます。逆に言えば、違和感ないから気づかない=成功!と言えるのかもしれない。

当たり前のことながら小説を書くって大変なことだ。本が売れなくなって小説家が滅びないことを祈る。そもそもお金のために書いているのだろうか。書きたいから書くのだろうか。AI作家が当たり前の世の中になっていくのだろうか。果たしてAIが書いた文章と人間の書いたものの違いが読んでわかるのだろうか。

疑問は尽きないが、ちょっと変わった読書体験をしたい方は読んでみてください。邦題も「アムステルダム」です。